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日々新たにされて

新約聖書 コロサイの信徒への手紙3章5~10節(新共同訳)

「5 だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。6これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。7あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。8今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」

 私たちは日々の生活の中でたくさんつまづいてしまう。職場や学校での人間関係において、家族との関係において。なんでこうなるんだろう、なんで自分がこうしてしまうんだろうと悩むが、その原因が分からなかったり、過度に自分を責めてしまったり、あるいは逆に完全に人のせいにして終わらせ、解決できていないことが多い。そして、同じつまづきを繰り返してしまう。

 なぜだろうか?

 人の姿のうち、目に見えているのは20%の言動に過ぎず、80%は目に見えない思考、感情、価値観、自画像、性格なのだそうだ。そしてこの80%の中に「古い人」がいて、私たちを罪に引き寄せ、つまづかせている。

 私たちは問題を解決しようとするとき、多くの場合、目に見えている20%だけを見て、そこを何とかしようとする。でも80%に含まれる部分が変わらないので、結局、完全に解決できずにいるのだ。例えば、遅刻癖のある人が遅刻しないようにしようとして行動だけを矯正しようとしてもなかなかうまくいかない。なぜ遅刻してしまうのか、自分の中にどんな思考や感情が働いているのかを突き止め、そこから直さなければ遅刻は直らない。

 聖書では、私たちがイエス・キリストを信じて救われたのに、新たに生まれていない、以前のままの本性、品性のことを「古い人」と言っており、この「古い人」を脱ぎ捨てて「新しい人」を着なさいと言っている。造り主の姿に倣う 「新しい人」を着なさいと。

 例えば「古い人」とは、「自分はどうせやっても駄目だ」、「怒りを感じたらそれをそのままその時に誰かに対して表してもいい」、「私は人から愛されない存在なんだ」などなど、間違った固定観念や、悪い習慣のことで、極端に自己中心的に陥り、そのため、聖書でいう罪に陥りやすい。

 では、「古い人」をどうやって脱ぎ捨てればよいのか。

 それは、まず、霊的なもので自分を満たすことだ。祈りで、聖書の御言葉で、賛美で、自分を満たすことだ。

 「古い人」を脱ぐことは自分の力でできることではない。つまづくとき、まさにその時、父なる神様をダイレクトに自分の中に受け入れ、聖霊様によって成し遂げていただいて、初めて脱げるのだ。私たちが普段から霊的なもので満たされていてこそ、 この恵みの働きが生き生きと発動できるようになる。

 逆に言うと、普段、自分が何によって満たされているかということがポイントになる。世俗的なことに満たされ、世の価値観に満たされているならば、いざというときにも、霊的なものを求められなくなっている。

 例えば、柔道やボクシングの選手は、同じ技の練習を日々、何回も何回も繰り返す。それは、試合の中で、ここぞというときにその技を用いるためだ。もしかしたら、その技はなかなか使えないかもしれない。でも、勝利を求めて、最善を尽くして練習を繰り返す。

 「古い人」を脱ぎ捨てることも同じだ。日々、まず自分が霊的なものに満たされて備えられていてこそ、ここぞというタイミングで主が祈りを通して、御言葉を通して働いてくださる。そうして私たちは「古い人」を脱ぎ捨てて、「新しい人」を身に着けることができるのだ。

 そしてこれは、一日あるいは一回で完璧にやり終えられることではない。「日々新たにされ」なければならない。成長の過程は何においてもそうだろう。信仰の歩みにおいてもそうだ。「日々」、神様と共に。「新しい人」を着て、歩んでいこう!

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