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自分の心を守れ‐その2

怒りから自分の心守れ!

前回のブログでは、箴言から、自分の心守ろうという話をしました。
今回は、そこから一歩突っ込んで考えてみたいと思います。

私たちの心を攻撃するもので、一番よくあるものは何でしょう?
それは怒り(=許せない!)だと私は思います。
人に対しての怒り、自分に対しての怒り、瞬間的な怒り、長期間の怒りなど。怒りによって、実際心身に不調をきたすことも。

では、どうやって怒りから心を守ればよいでしょうか。

Q1. そもそもなぜ人は怒るの?‐私たちが怒ってしまう根本的理由

A1. 不義に対して「怒る」主なる神様にかたどって造られた人間は、「怒る」のは当た前。脳科学者の中野信子さんの著書によると、実際、脳は身を守るために怒るようになっていて、怒る時、快感を覚えさせる物質も出てくるそう。

でも、人は神様のように完全、全知全能ではないし、肉体的な限界もある罪人であるので、人の怒りは、傷つき傷つけ、悩み、さらなる罪の問題を引き起こしてしまう。まさに、「人の怒りは神の義を実現しない」!

参考)新約聖書 ヤコブの手紙 1章19~21節 (新共同訳聖書より)

「19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。 20 人の怒りは神の義を実現しないからです。 21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。 」

Q2. では、何が原因で私たちは実際に怒ってしまうか。‐怒りの発端は何か

 人が怒るきっかけとなるのは、「期待外れ」と、そこからくる「恐れ」。
 「期待」というのは、例えば、「社会人なら、大人なら〜〜しなければならない」「**はこうするのがよい」、「○○はこうでなければならない」などの自分の考え、自分の基準、自分の考える常識であり、自分や人がその期待に応えられないと、怒りを、はたまた恐れも感じてしまうのだ。

 その根底には、次の間違った概念(偽りの物語)があるとジェームズ・ブライアン・スミスは著書、『エクササイズⅡ』で話す。例えば、、、
・私はひとりぼっちだ。
・私が間違えたら恐ろしいことがおこる。
・いつも私がコントロールしていなければならない。
・人生はいつも公正・公平でなければならない。 といったもの。

 でも聖書が言っていることは、例えば、、
・主はいつも共にいてくださる。
・主が全てを治めておられる。
・人生はいつも公正・公平とは限らないが、私が主に従って歩むなら、主が責任をとってくださる。

 例えば、信頼していた人が、自分に隠し事をしていたことが分かったとします。あなたは、裏切られたように感じ、悲しさや寂しさと同時に、怒りを感じるでしょう。自分は相手を信頼してすべてを打ち明けて話していたのに、自分には隠し事をするなんて、不公平だ、なんてひどいやつなんだと。

 しかしそれと同時に、自分はそんなにも信頼されない人間なのか、もうこの世で信じられる人間はいない、私は一人ぼっちだという恐れが生まれてこないでしょうか。ココが、「間違った概念(偽りの物語)」です。たしかに、この世ですべての人を信頼することはできません(残念ながら)。しかし、私たちは独りぼっちではありません。主なる神様は、いつも私たちと共にいてくださると聖書ではおっしゃっています。

 間違った概念を持ったままでいると、負の感情にどんどん飲み込まれていくしかありません。そしてさらなる悪循環を招いてしまいます。

 ここには敢えて引用を載せませんが、ぜひ、マタイ5:22〜24、ローマ12:19〜もチェックしてみてください^^

☆☆「怒り」は、創造主なる神様への越権行為

 「怒り」は、私たちに感情コントロールを失わせて罪を犯させることだけが問題ではありません。怒りとは、主なる神様に対する越権行為となるものなのです。旧約聖書の民数記12章をみると、律法を犯したモーセをミリアムが非難したことが記録されています。しかし、ミリアムは単純にモーセの間違ったところを非難するのではなく、一線を越えてしまいます。主なる神様がモーセをお選びになって、イスラエル民族のリーダーとして用いておられるのに、「モーセじゃなくても、私でもできるもん!」と。主なる神様は、この言葉を聞いて、ミリアムを罰せられます。

 最初に話したように、私たちは、当然怒るべきときに怒ることもできるのですが、私たちの内にある罪性、肉体的限界のため、簡単に「当然な怒り」から度を越してしまうのです。

 だから、ヤコブの手紙1:19-21にあるように、「怒る」のに遅くあり、「御言葉を受け入れ」ることが必要!!!

Q3. では、御言葉を受け入れるために、具体的に怒りをどうしたらよいのか。

1️⃣感情は主に委ねて感謝の態度をとる(第一テサロニケ5:16)

意志を持って感謝の態度をとるとき、感情も聖霊様が導いてくださる!

 例えば、会社の上司から理不尽な理由で注意されたとしましょう。おそらく内心怒りが爆発すると思います。でもそこで、その怒りに任せて行動したらどうなるでしょうか。いったん、「ご指摘ありがとうございます。〇〇は▲▲するようにします。」と感謝の態度を表して、その後、主なる神様に祈る中で感情を整えるのと、どちらが知恵のあることでしょうか。

2️⃣間違った概念を捨てて、聖書に立ち帰る。
 聖書をまだ読んだことがない方は、ぜひ、聖書を読むことからはじめてみてください。まったく初めての方は、まず「福音書」から読み始めるのをおすすめします。

3️⃣被造物として謙遜になる。
 私たち人間は主によって造られた存在(被造物)です。また、クリスチャンは赦された罪人だということを忘れてはいけません。
 自分含め誰か、何かのことで怒りが湧くとき、自分自身どれほどの罪人なのか、主がどのように自分を赦してくださったのかを思い出してみましょう。

2022年、怒りから心を守って、たくさんの有益な実を結んでいきましょう!

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