子育てつれづれ(1)
まさにコロナ禍の中で生まれた息子ももう11か月。
つたい立ち、伝い歩きを始め、目が離せません。
先日、こんなことがありました。
壁に手をついて立とうとした瞬間手が滑り、息子が壁に頭をぶつけそうになったので、私が息子の体を腕で支えました。
それで息子は頭を壁にぶつけずに済んだのですが、その代わり、身体が少しねじれたような向きで私の腕にぐいっと押されることになったので、それが苦しかったようです。
息子は、倒れずに済んでほっとした次の瞬間、しかめっ面で私の方を向いたのです。
その顔を見た瞬間、私はこう思いました。
いやいや、ぐいってなったのは嫌だったかもしれないけど、私が支えてあげたから君は頭をぶつけずに済んだんだよ、と。
それと同時に私はハッとしました。
もしかしたら、私たちも父なる神様に対してこんな表情をしている時があるかもしれない、と。
父なる神様は、私たちが計り知れない大きな視点から私たちを見守っておられ、はたらいてくださっているのに、私たちはそれが理解できず、ちょっと自分が不快だ、納得できない、嫌だと思うことがあれば、すぐ父なる神様に対してしかめっ面をしてはいないだろうか、と。
私たちは、自分が感じたことが全てだと思って、信仰生活を送ってはならないというのが分かった気がします。
父なる神様は、聖書が証ししているとおり、善であり、信頼に足るお方です。
聖書が証しするとおりに受け入れ、信じ、自分に起こることを父なる神様の視点、父なる神様の文脈の中で解釈するとき、人生において見えてくるものが違ってくるのではないでしょうか。